ちょっと小話…浅草観音様ってどこから来たの?①

まだまだ陽射しは強めですが、少しずつ秋の気配を感じ過ごしやすい季節になってきましたね。
 

令和2年 浅草神社例大祭「三社祭」秋(10月)斎行について8月31日に正式に発表がありました。

 --- 以下文引用 ---

 令和2年10月17日(土)・18日(日)の2日間に亘り斎行する事と致します。

 但し、新型コロナウィルス感染症に対する感染防止対策の観点より

1、宮神輿・町神輿を含め担ぎ手による担いでの神輿の渡御は中止

2、氏神様である三柱の御神霊(おみたま)の氏子四十四ヶ町移御を実施
とさせて頂きます。

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 と発表がありました。

 賑やかな祭りではなくなりますが、このご時世致し方ありませんね。

 浅草神社例大祭「三社祭」詳細はこちら

https://www.asakusajinja.jp/info/2814/ 



さて、ここから先は夏休みの自由課題のような内容です(笑)

自由気ままにふと疑問に思ったことを自分なりの見解で調べてみました。間違った内容もあるかと思いますがそこは笑って許してください!



では、皆さんにお伺いします。

浅草寺の歴史についてご存じでか。

多分知っている方はたくさんいらっしゃると思いますが

簡単に説明すると…

浅草寺の起源は飛鳥時代の推古天皇36年(628年)と言われています。
この年の3月18日の朝、檜前(ひのくま)浜成・武成(はまなり・たけなり)兄弟が浅草浦(隅田川)で漁をしていると、投げ網の中に小さな仏像がかかりました。

「これは尊い物に違いない」と兄弟は漁をやめて、陸へ上がりました。その地点が、今の駒形です。 


そこで兄弟は郷司(村長)の土師中知(はじのなかとも)に相談しました。

土師中知は、仏像を一見して観世音菩薩像であることを知り、直ちに岸辺に安置して拝みました。
駒形堂(上記 8/29撮影)はこの縁起により建立されたものです。


余談ですが…古地図アプリ片手に地元の街を歩くと結構面白いもので、今も昔もある老舗や、ここ田んぼだったんだっ!というところがあり楽しめます。

ちなみにこの地図は江戸時代のものらしいです(笑)


その後、土師中知は自宅を寺に改造して、観音像をまつって礼拝供養の生涯を送ったそうです。

これが、「浅草寺縁起」に見られる観音示現に伴う起源です。

そしてここに登場してくる土師中智と檜前浜成、武成の三人が郷土神として浅草神社に祀られています。


では、ここで本題です。

檜前浜成、武成が網で上げた仏像はどこから来たのか…

気になりませんか?

どこから来て、なぜ墨田川なのか?

 これはまた次回書きたいと思います。

それまで皆さん、一歩ずつ秋に向かう頃、油断なく体調管理に努めてくださいね!




浅草町清三睦会

浅草神社の氏子となる清三睦は浅草からから少し離れた飛び地にある。 地域住民の高齢化や住民の減少で祭りの存続も危うい状態ですが、この伝統ある行事を次の世代にも繋げるために青年部一同団結し、日々活動している。そんな小さな町の若者たちの活動記です。

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