ちょっと小話…浅草観音様ってどこから来たの?②

前回、浅草の観音様はいったいどこから来たのか…?

という疑問についてネットで探しまくりました(笑)


浅草観音の故郷・岩渕の岩井堂観音

浅草観音様って…

一体どこから来たのだろうか…


浅草観音様の故郷…
そこは東京都青梅市と埼玉県飯能市の県境成木川沿いの切り立った岩に寄り添って建つ岩井堂観音と言われています。


飯能市史資料編による岩井観音堂の縁起

およそ一四〇〇年前、一人の旅僧がもたらせた観音像が嵐により転落し、成木川から浅草浦へ流れ着いた後、漁師の網で海上げされた観音像が岩井堂観音であるという口碑伝承が実を結び昭和八年九月十五日浅草観音の御分身として聖観音像が岩井堂に奉還された。

 同年、海上げ祈念地である駒形堂が新築され、同時に岩井堂も同様の形式で新築された。 

これは当時の浅草寺執事長清水谷恭順師(後の二十四世貫主)の尊い尽力によるものです。

 そして師が口碑伝承を真摯に受け止め、浅草観音の生誕の地を尊ばれた結果であり、深い観音信仰の顕れである。
我々の遠い祖先から受け継がれてきた信仰の象徴、岩井堂観音は郷土の誇りである。

(一一八会経営者会議・管理寺歓喜寺掲示より)



ネットで岩井堂観音を検索すると…

岩井堂は巖堂の転訛とされ、名が示すとおり岩山に座す堂である 仏僧が岩場で霊験を得たと記されていました。

確かに岩井堂観音の写真を見ると大きな岩肌に祠があり仙人がいそうな感じです。

参考ブログ:http://mkaifuu.blog.fc2.com/blog-entry-370.html

観音堂のすぐ脇に成木川が流れており、嵐の日に転落しここから流れてきたのかな?と(笑)

地図で見ても岩井堂観音が建っている真下に川が流れていますね。


流れてきた観音様について…
本尊の聖観音像は5.4センチの黄金の像といわれています。
大化元(645)年に勝海上人という僧がご本尊の聖観音像を「秘仏」と定め、それ以来、実物を見た人はいないとされてます。
ですが、「ご本尊を見た」という伝承も残っており、その正体は約20センチ大の青銅製の奈良時代の仏像だったとも、刀の留め金具である「金竜の目貫」だったともいわれています。


色々な説はあるけれど、私は網で海上げされた観音像は5.4センチと小さくはなく、それなりの大きさがあったのではと思います。

また岩井堂観音にはたくさんの石でできた像があるため、流れてきた像は青銅とかではなく、ある程度硬さのある鉱石でできているのではないかな?など思ってみたりもします。

もし、浅草の観音様に聞けるのであれば、どうして浅草の地に流れ着いたのか?

何かすべきこと伝えたいことがあり、この地に来たのか…

色々と想像を膨らませていくと不思議なことがたくさんあり、イメージするだけで楽しくなります。

きっと現地に行ったりしたらもっと詳しい情報を集めることができるのかもしれませんが、こんな時期なので今回はここまでとしたいと思います。


ちょっとした情報を知っているかいないかによって、奥深さがわかることにより、お神輿を担ぐときや示現絵のときの自分の心持少し変わりますよね。

来年はお神輿担げるといいですよね。


ご拝読ありがとうございました!


浅草町清三睦会

浅草神社の氏子となる清三睦は浅草からから少し離れた飛び地にある。 地域住民の高齢化や住民の減少で祭りの存続も危うい状態ですが、この伝統ある行事を次の世代にも繋げるために青年部一同団結し、日々活動している。そんな小さな町の若者たちの活動記です。

1コメント

  • 1000 / 1000

  • kazuming

    2020.09.13 01:27

    こちらにも詳しく岩井堂観音について書いてあったのでリンク貼ります! https://840.gnpp.jp/sensojikan-non/